こんにちは。弁護士の浅見隆行です。
英投資ファンドのアセット・バリュー・インベスターズ(以下「AVI」)は2026年5月14日、ワコムへの株主提案を提出したと発表しました。
AVIは議決権ベースで13.8%を保有するワコムの筆頭株主です。
今回の提案は、代表取締役社長井出氏および業務執行取締役中嶋氏の解任と、社外役員候補1名の選任を求める内容です。
報道では「社長の娘がワコム東京支社のスペースをダンス練習に使っていた」という側面が拡散されています。しかし、AVIが資料で提起している問題はそれだけではありません。
注目すべきは、これが2025年に続く2度目の株主提案であるという点です。
前回2025年6月の株主総会で会社がAVIの提案の一部を採り入れ、それ以外の提案は否決されたことで、AVIによる問題提起はいったん退けられたはずでした。
しかし1年後、提案は「仕組み」の話から「人事」の話へと一段重くなって戻ってきました。
本件の核心はこの点にあります。
2026年5月、ワコムに突きつけられた問い
AVIの2026年5月14日付資料「ワコムの未来を描く」は、ワコムへの懸念を以下の4点に整理しています。
業績の長期低迷
円安の累積影響を除いた営業利益ベースで、ワコムの2026年3月期は2021年3月期から約4割減の水準と分析されています。
社外取締役の関連会社を16.6億円で取得
ワコムは2026年3月31日、当時社外取締役であった中嶋氏自身が代表取締役を務める株式会社リクロスエクスパンションの株式を約16.6億円で取得しました。同時に同氏を業務執行取締役兼チーフ・オペレーション・オフィサーに就任させています。
ところが、買収対象の25年8期は、関連会社合算で1,400万円の赤字決算でした。
代表取締役による公私混同の疑い
井出氏が代表理事を務める一般社団法人コネクテッド・インク・ビレッジに対し、ワコムは2019年以降、累計2億8千万円の寄付金を拠出しています。
同社団法人が共同主催するイベントには井出氏の子女が毎年ダンサーとして出演し、ワコム東京支社31階のスペースが5年以上にわたって同氏子女のダンス練習・撮影に使われてきたそうです。
社外取締役と代表取締役の8年並走
代表取締役井出氏と社外取締役(監査等委員長)東山氏は、ともに2018年にワコムの経営陣に加わり、約8年間並走してきました。
AVIとの対話で東山氏は、業績が厳しい中で社長が続投意欲を見せている状況を「我々から見ると微笑ましい」と評したとAVI資料に記載されています。
4つの指摘はいずれも、ワコム自身の開示資料・有価証券報告書・登記簿等の一次情報を基礎にしたものです。「アクティビストの煽り」として一蹴できる話ではありません。
これは2度目の問いかけである — 2025年からの1年間
2025年は「仕組み」を問う提案だった
AVIは2025年5月7日にも、ワコムに対して株主提案を提出していました。
議案は社外取締役1名の追加選任、50億円の自己株式取得、ブランド製品事業の黒字化を監督する「事業構造変革監督委員会」の定款設置、経済産業省「企業買収における行動指針」を踏まえた定款変更など計6議案です。
いずれもガバナンス機構の運用を実質化するための制度提案であり、特定の経営者個人を名指しするものではありません。
ワコムが2025年5月16日に公表した取締役会意見書には、AVIの提案内容と本株主提案に反対する旨の取締役会決議が記載されています。
その後、議案のうち1議案は会社提案に取り込まれる形で取り下げられ、残り5議案は2025年6月26日開催の第42回定時株主総会でいずれも否決されました(臨時報告書)。
1年後、提案は「人事」へエスカレートした
それから1年。2026年の提案は「人事」の話へと様変わりしました。
社外取締役の追加選任は引き続き含まれていますが、中心は代表取締役と業務執行取締役の解任という、株主によるガバナンスの中でも最も厳しいものです。
この変化を分解すると、2025年に「仕組み」を直してほしいという形で提起された問いが退けられた、その後の1年間で会社の側に実質的な変化が見えなかった、その間に新たに明らかになったのが利益相反取引と公私混同に関わる事実関係だった、という流れが浮かびます。
だからこそ今回の解任提案だとすると、合点がいきます。
社外取締役5名がいる会社で、なぜ経営監督が機能しなくなるのか
ワコムのガバナンス体制そのものに目を向けます。
外見は整っている機関設計
ワコムは社外取締役5名を擁し、指名委員会、報酬委員会、監査等委員会という3つの委員会を設置しています。AVIの資料によれば、リクロスエクスパンション買収の妥当性を検討するために、社外取締役5名で構成される独立検討委員会も別途設置されています。
機関設計だけ見れば、上場企業として水準を満たした体制が外形上は整えられていると言えます。
運用の実態
問題は、整えられたガバナンス体制が監督機能として実質的に働いているかどうか、です。
経済産業省が公表している「社外取締役の在り方に関する実務指針(社外取締役ガイドライン)」には、
社外取締役の最も重要な役割は経営の監督である。その中核は、経営を担う経営陣(特に社長・CEO)に対する評価と、それに基づく指名・再任や報酬の決定を行うことであり、必要な場合には、社長・CEOの交代を主導することも含まれる。
と記載されているとおり、社外取締役には監督機能が期待されています。
AVIが問題視しているのは、社外取締役(監査等委員長兼報酬委員長兼独立検討委員会委員長)である東山氏と代表取締役井出氏の関係性です。
両氏はともに2018年にワコムの経営陣に加わり、約8年間にわたって取締役会で並走してきました。
AVIが2025年2月18日の対話で「現在の業績にもかかわらず、井出氏が社長の地位に恋々としているということはないか」と問うた際、東山氏は「多少業績が厳しくても社長が次もやりたいと思っているというのは我々から見ると微笑ましいこと」「CEOがエモーショナルなのは致し方ない」と応じた、としています。
これが事実だとすれば、経済産業省ガイドラインが社外取締役の中核機能として位置づける「社長・CEOの評価」「必要な場合の社長・CEOの交代の主導」と、「微笑ましい」という言葉で代表取締役の続投意欲を受け止める実態との間には、相当な距離があるように見えます。
社外取締役を複数名そろえること、各種委員会を設置すること、独立検討委員会を立ち上げること。これらはガバナンスの「形」ですが、その形が監督機能として働くかどうかは、社外取締役と代表取締役の関係性、議論の実態、情報の流れ方といった「運用」次第です。
立派な体制を整えていることに経営陣が満足していたとすれば、それ自体が形骸化したガバナンスの典型例だと言えます。
利益相反取引のチェック機能はどこで止まったか
二つの利益相反取引
AVIの資料で取り上げられているリクロスエクスパンション買収と、コネクテッド・インク・ビレッジへの寄付金は、いずれも取締役による利益相反取引に該当するおそれを含んでいます。
買収案件では、当時ワコムの社外取締役であった中嶋氏自身が代表取締役を務めるリクロスエクスパンションの全株式を、ワコムが約16.6億円で取得しました。
寄付金については、ワコムの代表取締役井出信孝氏自身が代表理事を務めるコネクテッド・インク・ビレッジに、ワコムが2019年以降累計2億8千万円を拠出しています。
いずれもワコム自身が有価証券報告書および適時開示資料で関連当事者取引として記載している事実です。
利益相反取引そのものが直ちに違法というわけではありません。会社法は、取締役会の事前承認等の手続を経ることを条件に、これらの取引を許容しています。
問題は、利益相反取引の「事前承認」が実質的なチェック機能として働いていたかどうか、という点にあります。
検討委員会は機能していたか
リクロスエクスパンション買収については、社外取締役5名で構成される独立検討委員会が2025年10月31日に設置され、2026年1月14日に「買収の合理性を認める意見書」が提出されています。検討期間は約2か月半でした。
AVIが検討委員会委員長であった東山氏と対話した際に「買収価額の妥当性はどのように検証されたか」と問うた際の応答が、AVIの資料には記載されています。
東山氏は「デューデリジェンスは大手会計事務所系アドバイザーを入れて慎重に行った」「DCFで客観的に実施」と説明した一方で、関連会社合算で1,400万円の赤字決算という事実を指摘されると、「手元に資料がなく細かいところがわからない」「専門家の意見で、DCFで妥当だろうということで報告を受けて委員会としても了承した」と回答した、と記載されています。
フジテック事案との比較
参考になる事案があります。
フジテックでは、創業家である内山家との関連当事者取引が一部株主から問題視されました。
フジテック自身が2023年12月に公表した文書には、創業家が関与する関連当事者取引が長年にわたり続けられ、真に独立した立場から経営者を有効かつ適切に監督するためのガバナンス上の仕組みが十分に機能していなかった可能性があると記載されています。
フジテックの事案が示しているのは、利益相反取引のチェック機能は「委員会を設置したかどうか」「専門家の意見書を取得したかどうか」という形式の話ではなく、「委員会のメンバーが取引内容を自分の言葉で説明できるか」「数字の細部に立ち入って議論しているか」という運用の話だ、ということです。
ワコムのリクロスエクスパンション買収についても、検討委員会の設置、意見書の提出、専門家の助言取得というところまでは「形」として整っています。
しかし、委員長自身が「手元に資料がなく細かいところがわからない」と回答する状態で運営されていた委員会は、利益相反取引のチェック機能として実質を伴っていたとは言いがたいように感じます。
関連会社が赤字ということは買収価格にも影響する事情なので、詳細までは覚えていなくても、当時委員会の中で赤字の点についてどんな議論があったか、なんとなく記憶の片隅には残っていても良さそうなものです。
経営に求められるのは、否認ではなく向き合うこと
総会で勝っても問題は残る
第一段階の対応として、ワコムは2025年と同様、AVIの株主提案に反対を表明することが想定されます。
それ自体は適法な経営判断であり、最終的な賛否は株主の議決権行使に委ねられます。
ただし押さえておくべきは、総会で勝つことと、提起された指摘を実質的に解消することは別の話だ、という点です。
2025年の総会では、AVIの提案はいずれも否決されました。
しかし今回は、利益相反取引、社団法人への寄付金、社内スペース利用といった、株主にも市場にも具体的に見える事実が積み上げられています。
仮に2026年の総会でも会社提案が勝ったとしても、これらの個別の問題点は残り続けます。
明確な回答を求める株主・投資家は少なくないように思います。
リクロスエクスパンション買収の事業シナジーがどう実現されたか、社団法人への寄付金が会社の事業価値にどう貢献しているか、社内スペースの利用に関する施設利用許諾契約の対価がどう算定されているか、社外取締役と代表取締役の関係性をどう独立に保つか。
これらの問いは、総会での勝敗とは別に、毎年の有価証券報告書、適時開示、株主との対話の中で問われ続けるはずです。
「説明拒否」は議論を社外で増殖させる
株主との対話の質もこの延長線上にあります。
AVIの資料には、ワコムIR部門への質問に対し、IR部門が「個人情報およびプライバシーの保護」「セキュリティ上の観点」を理由に実質的な回答を控えたやり取りが書かれています。
これらが回答を差し控えるべき場面なのかどうかは、個別の判断であることは否定しません。
しかし、株主から具体的に問われた個別事実に対してこの理由づけで一律に応答することを続ければ、会社の側から見えていない株主・投資家の間で問題化していきます。
株主・投資家に限らず、既にSNSで話題になっているくらいですから、世の中の人たちは忘れないでしょう。
「敵対的株主」というフレームの罠
「アクティビスト株主の敵対的な動きである」という認識から出発してしまうと、提示された指摘の中身に向き合うことが二の次になります。
しかし、本件で問われているのは、利益相反取引のチェック、社外取締役の独立性、株主への説明責任という、上場企業として誰もが向き合うべきテーマです。
AVIが指摘したから新たに浮上したわけではありません。
もともと存在していた問題が筆頭株主によって世間の目にさらされた、という認識で受け止めて向き合うべきだと思います。
求められるのは個別の指摘への説明責任
このような目線で考えると、経営の側に求められるのは、提案に反対することと並行して、指摘ひとつひとつについて開示資料とは別に、独立した第三者の判断材料で説明していくことだと思います。
検討委員会の議事概要を開示する、買収後のリクロスエクスパンション事業の業績を継続開示する、社団法人への寄付金の使途を投資家に説明する、社内スペースの利用ルールを文書化して公表する。
こうした地道な対応の積み重ねが、結果として株主・投資家からの信頼を回復・維持し、企業価値の向上につながる気がします。
これは、開示義務があるかという次元の低い話しをしているのではありません。
株主・投資家からの支持を集めるためには広報活動を積極的にしたほうがいい、ということです。