セガサミーが野球部の廃部を公表。コーポレートガバナンス・コード改訂が動かす「平時の聖域」

こんにちは。弁護士の浅見隆行です。

セガサミーホールディングスは2026年5月14日、社会人野球チーム「セガサミー野球部」の活動を2026年シーズンをもって終了し、廃部することを発表しました。

都市対抗野球好きの1人として残念でなりません。

社会人野球の名門が相次いで活動を縮小する流れの中での発表ですが、本記事ではこの経営判断の裏側を読み解いていきます。

創部の目的は、すでに達成されていた

セガサミーの公式説明は、「グループを取り巻く経営環境は近年大きく変化しており、チームの近年の状況なども踏まえて検討を重ねた結果、活動終了という判断に至りました」というものです。

穏当な表現ですが、これだけでは廃部の本当の理由は見えてきません。

リリース文をもう少し丁寧に読みます。

セガサミー野球部は2005年8月、セガとサミーが経営統合した翌年に、「従業員の一体感を醸成し、結束力を高める象徴的な存在」として創部された、とリリース文に明記されています。

創部時の投資目的は、統合直後の一体感醸成にあったということです。

それから20年が経ちました。グループの結束はすでに当然のものとして定着しており、当初の投資目的はとうに達成されています。

リリース文には「これまで本チームを通じて培われたグループシナジーや経験、感動体験は、今後の企業活動、および、地域やスポーツへの貢献活動に引き継いでまいります」という表現もあります。

「グループシナジー」を「これまで…培われた」と過去形で書いている点が注目できるポイントです。

役割を終えた投資について、その成果を今後は別の活動に引き継ぐ。廃部の本質はそういう話だったと読むことができます。

「経営環境の変化」は、その判断を後押しする外的な要素にすぎません。

本当のテーマは、目的を達成した投資をいつ畳むかという問題だったと考えられます。

その判断を後押しした外的要素の中心にあるのが、コーポレートガバナンス・コードの改訂です。

コーポレートガバナンス・コード2026年改訂が求める「資源配分を語る責任」

金融庁は2026年4月10日、コーポレートガバナンス・コードの改訂案を公表しました。意見募集を経て、6月にも改訂・適用が見込まれています。

改訂案の核心は、取締役会を「成長戦略と資源配分の司令塔」として再定義することにあります。

改訂案原則4-1では、取締役会が成長の道筋を構築・提示する役割・責務を負うこと、そしてその道筋を踏まえた成長投資や事業ポートフォリオの見直しなど経営資源の配分について、具体的に何を実行するのかを説明する責任が規定されています。

改訂案原則4-2では、現預金を含む資源配分が適切か、投資等に有効活用できているかまで「不断に検証する」ことが求められています。

ここに、見落とされがちな転換点があります。

改訂後には、廃止する判断にだけ理由が要るのではありません。それ以上に、「続ける判断」にも経済合理性の説明が求められることになります。

利益を生まない資産、稼ぐ力を証明できない事業、過去の経緯だけで維持されている保有物について、取締役会が「なぜそれを続けるのか」を語れなければならない。

社会人野球部は、典型的にこの問いの対象です。

パナソニック野球部の休部 ― 同じ力学の別表現

セガサミーに先立つ動きとして、パナソニックホールディングスは2025年12月8日、パナソニック野球部について2026年シーズンの終了をもって休部することを公表しました。

パナソニックのリリースは、セガサミーと比べてより踏み込んだ言葉づかいになっています。

「特に近年は都市対抗野球・社会人野球日本選手権の本大会出場を逃すなど結果を出せておらず、2025年2月に発表したグループ経営改革の一環として、2026年の社会人野球日本選手権を最後の大会とし、休部することを決定しました」と記載されています。

同チームは1950年に松下電器産業(当時)初の会社公認チームとして創部され、社会人野球日本選手権で2回優勝した経緯も併せて明記されています。

セガサミーが「経営環境とチーム状況」という抽象的な表現にとどめたのに対し、パナソニックは「結果が出ていない」という客観材料を正面に据え、「グループ経営改革の一環」として処理しました。

説明の構造に違いがあります。

ただ、表面の言葉づかいの違いを超えて、根の力学は同じだと言えます。

事業ポートフォリオ全体の見直しが先にあって、その中で野球部に手をつけたパナソニック。創部目的の達成という形で20年を区切ったセガサミー。

どちらにも共通しているのは、改訂コードが要請する「資源配分を具体的に語る責任」という外部要素を、経営判断を動かす材料として用いている点だと思います。

「やむを得ない経営判断」を支える外部要素

ここからは、平時の意思決定の構造について少し踏み込みます。

経済合理性だけで考えれば、廃部・休部の判断は数年前には決着がついていたはずです。にもかかわらず、セガサミーで20年、パナソニックで75年、議論は動きませんでした。

その背景には、組織内部の独特の重力があるように思います。

社内には長年運営に関わってきた人がおり、OBがおり、地域との関係があり、現役の従業員がいて、長年その存在を当然のものとして見てきた役員がいます。

そこには、誰が言い出すか、いつ言い出すかを巡る、独自の重力が働きます。

利害がぶつかるからではなく、誰の利害でもないがゆえに、誰も触れたくない領域として組織の中に温存される。

これが、本記事で扱う「平時の聖域」の正体だと考えます。

言い出した人が悪者になる構造、と言い換えてもよいかもしれません。

改訂コードが浮かび上がらせる二者択一

改訂コードが外部要素として作用するとき、経営者の選択肢は本質的に二つに絞られます。

一つは、続ける経済合理性を構築すること。

「ブランド資産への貢献」「他事業とのシナジー」「効率化の具体策」といった、取締役会が外部に対して語れる経済合理性のストーリーを組み立てる道です。

それが成り立つなら、続ける選択は維持できます。

もう一つは、廃止すること。

経済合理性のストーリーを組み立てられない事業については、続けるための説明に掛ける労力の方が、廃止するための説明に掛ける労力よりも高くなります。

そのとき廃止は、能動的な切り捨てというより、「やむを得ない経営判断」として現れます。

セガサミーとパナソニックの判断は、この景色の中で見ると違って見えてきます。

「経営環境の変化」という穏当な言葉は、攻撃的なリストラの宣言ではありません。

続けるストーリーを描けない事業について、内部の触れにくさを解除するための最小限の儀礼的な表現だと考えられます。

「投資家への説明責任」という外向きの言葉が、社内では「もう続けない理由を語ることを支えている」になるという構造です。

経営者にとってのコードの本当の価値

経営者にとってのコーポレートガバナンス・コード改訂の本当の価値は、報告書のチェック項目を増やすことではありません。

これまで触れにくかった聖域に関する意思決定を正当化する材料を手に入れたことにある、と考えます。

聖域は野球部だけではありません。

創業時の名残で続いている子会社、過去の経緯で保有している政策保有株、創業者の趣味で残された施設、長年動かなかった役職定年制度など。

経営者が自社を見渡したときに、これまで議論を避けてきた領域がどこにあるか。改訂コードは、その棚卸しを促す道具にもなり得えます。

今回の廃部の判断は、長く触れられなかった聖域に関する議論を動かすために、コード改訂という外部要素を利用してどう正当化していくかという、経営者の技術論でもあった気がします。

アサミ経営法律事務所 代表弁護士。 1975年東京生まれ。早稲田実業、早稲田大学卒業後、2000年弁護士登録。 企業危機管理、危機管理広報、コーポレートガバナンス、コンプライアンス、情報セキュリティを中心に企業法務に取り組む。 著書に「危機管理広報の基本と実践」「判例法理・取締役の監視義務」「判例法理・株主総会決議取消訴訟」。 現在、月刊広報会議に「リスク広報最前線」、日経ヒューマンキャピタル・オンラインに「この会社はどこで誤ったのか」を連載中。
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