自己紹介・・生い立ちや趣味とか色々

こんにちは。
弁護士の浅見隆行です。

GWが始まりましたね。
OFFモードの方も多いと思いますので、今日は堅い投稿は止めます。

その代わりに、あらためての自己紹介をしたいと思います。
「noteを始めます」宣言はしたものの、その後2週間、キチンと自己紹介をしていなかったので。

生い立ち

1975年2月、東京生まれ。
地元は練馬ですが、ルーツは群馬です。

おかげで、子どもの頃から、群馬名物「焼きまんじゅう」が大好き。
前橋だと原嶋屋総本家と田中屋本店が二大派閥だと勝手に思っています。
以前は原嶋屋だけに行っていましたが、最近は田中屋にもよく行くようになりました。

群馬には、ほかにも片原饅頭というのがかつてありました。
数年前に、片原饅頭の麹を引き継いだ角田製菓の酒まんじゅうがあることを知り、これもよく食べます。

高校・大学

趣味と将来の進路が選んだ理由

子どもの頃から野球をやるのも好きだったけれど、それ以上に見るのが好き。特に高校野球が大好き。箱根駅伝やラグビーも見るのが好きでした。

一方で、子どもの頃からニュースで流れる警察や検察のガサ入れの姿、不正を追及する姿に憧れていました。

そのため、「将来は、高校野球、箱根駅伝、ラグビーが強い学校に行きたい。かつ、検察官になりたい。司法試験によく受かる学校に行きたい」と思っていました。

高校野球、箱根駅伝、ラグビーが強くて、司法試験にも合格者が多い学校は、早稲田しかありません。

というわけで、地元の小学校・中学校を経て、高校から早稲田実業に入り、大学も早稲田に進学しました。

地元の小学校・中学校の友だちとも今でも仲良くしていますが、早実・大学の友だちとは、それ以上に仲がいいかもしれません。
特に大学時代に出会った友だちは、社会人になってからも結構な頻度で会っている気がします。
早実は先輩・後輩の繋がりがまったく想像もしていなかったほど太く強く、年齢関係なく、年中お付き合いしていただいてます。

趣味の現状

高校野球は早実の試合を中心に、北海道から沖縄まで公式戦・練習試合を合わせて年間100試合以上観戦しています。

日本ハムの清宮幸太郎は高校1年生のときから公式戦はもちろん、練習試合や招待試合を含めてほぼほぼ観ていました。
おかげで、ヤクルトの村上も高校1年生のときから、早実と九州学院との練習試合で見ています。

メジャーリーガーの大谷さんは浦和学院のグラウンドでの練習試合で見ましたし、千葉ロッテの佐々木朗希は作新学院との練習試合で見ました。

ご存じない方が多いと思いますが、春と夏の甲子園以外に、3月下旬〜11月末までほぼ毎週どこかで高校野球の試合(公式戦、招待試合、練習試合)は行われています。
GWは、各地の春の大会の集大成で忙しいです。

趣味のつもりですが、早実の応援サイトやTwitterアカウントを管理していることから、仲間からは、高校野球観戦を「本業」と呼ばれることが多いです。

ラグビーは早稲田大学はもちろんのこと、コベルコ神戸スティーラーズのファンで関東で試合があるときには全試合見に行っています。
スティーラーズを応援する人は「スティールメイツ」と呼ばれます。
今シーズンは不甲斐ない成績だったので、来シーズン以降の名門復活を期待しています。

コベルコ神戸スティーラーズは神戸製鋼です。
危機管理に取り組む弁護士として神戸製鋼の品質不正の問題がいつも脳裏をよぎってしまいますが、仕事と趣味は別物と割り切っています。

駅伝は、テレビで放送する三大学生駅伝や高校駅伝、ニューイヤー駅伝のほか、地方で行われる駅伝や記録会なども見に行っています(コロナ禍になってから記録会は観戦NGになっているのが残念です)。

今は、自分自身が去年からボディビル(フィジーク、クラシックフィジーク)の大会に出るようになったこともあり、ほぼ毎日、筋トレ三昧です。

司法試験合格〜弁護士になるまで

司法試験(今で言う旧司法試験)は、卒業2年目の4回目の受験で合格しました。その後は神戸で司法修習をしました(53期)。

神戸では、神戸法律事務所で大塚明弁護士・神田靖司弁護士(今は2人とも引退されました)から指導を受けました。
神戸に行くまでは検察官になりたい熱が高かったのですが、大塚弁護士・神田弁護士の仕事を見て、

  • 裁判所に行くだけではなく、執筆や講演など自由に活動の幅を広げられること
  • 企業からの相談に答えたり、指導したりすることで、不祥事や事件が起きないようにできること

を知り「企業の危機管理を得意とする弁護士になりたい」と方向転換しました。

今では当たり前になった企業危機管理ですが、1999年当時、危機管理の弁護士というと、民暴(民事介入暴力)と呼ばれる反社会的勢力対策や悪質クレーマー対策の弁護士ばかりでした。

自分がなりたかったのは、不正や不祥事を起こさないようにする弁護士だったので、少し方向性が違いました。
そうした中で見つけたのが、中島経営法律事務所の中島茂弁護士でした。

1999年当時から企業危機管理に目を向けていて、著書を読みながらワクワクして就職活動をした記憶があります。「戦略法務」という言葉を考えたのも中島茂弁護士です。

弁護士になってから

2000年10月に弁護士に登録し、2005年から中島経営法律事務所のパートナー(経営陣)を経て、2009年1月にアサミ経営法律事務所を開設しました。

2007年には健康を害して半年ほど、休業していました。

一番初めに行った仕事は土壌汚染対応

弁護士になって一番初めに行った仕事は、メーカーの土壌汚染対応でした。

工場で使用していた有機化合物が、規制されている基準の何倍もの量が土壌に漏れていることが発覚し、行政、井戸水を常飲している地域住民のほか反社会的勢力からも街宣を受けたため、その対応をしなければならないというものです。

右も左もわからない初心者弁護士でしたが、行政対応、記者会見対応、住民説明会対応、土壌汚染の調査、井戸水を常飲している地域住民への補償、街宣車対応など危機管理のオンパレードを、なんとかやりきりました。

現在も危機管理の仕事

こうした仕事をいくつもこなした結果、現在に至るまで、企業危機管理の仕事を中心に携わっています。

現在の仕事の内容については、以前に書いたことがあるので、よかったら、そちらも読んでみてください。

 

アサミ経営法律事務所 代表弁護士。 1975年東京生まれ。早稲田実業、早稲田大学卒業後、2000年弁護士登録。 企業危機管理、危機管理広報、コーポレートガバナンス、コンプライアンス、情報セキュリティを中心に企業法務に取り組む。 著書に「危機管理広報の基本と実践」「判例法理・取締役の監視義務」「判例法理・株主総会決議取消訴訟」。 現在、月刊広報会議に「リスク広報最前線」、日経ヒューマンキャピタルオンラインに「第三者調査報告書から読み解くコンプライアンス この会社はどこで誤ったのか」、日経ビジネスに「この会社はどこで誤ったのか」を連載中。