こんにちは。弁護士の浅見隆行です。
東京高裁は2025年6月7日、東日本大震災による津波によって起きた東京電力福島第一原発の事故に関する株主代表訴訟にて、取締役らには責任がないとする判決を言い渡しました。
取締役らに13兆円もの賠償額を認めた原審(東京地判2022年7月13日)を逆転したものです。
原告弁護団が控訴審判決を公開していたので、さっそく内容を読み解きます。なお、マーキングは私がしたものです。
東京電力福島第一原発株主代表訴訟控訴審判決のポイント
控訴審判決の枠組み
控訴審判決の「当裁判所の判断」(判決11頁以下)を簡単にまとめると、裁判所は、まず、
- 取締役の善管注意義務違反を認めるためには、福島第一原発の10m盤を超える程度の津波が襲来することを具体的に予見可能であることが必要である
- ※抽象的な予見可能性では足りないという意味
- 具体的に予見可能というためには、福島第一原発の運転停止を指示することを法的に義務づけられていると取締役が認識できる程度に、合理性・信頼性のある根拠が必要である
- ※作為義務があると自覚できる程度には、信頼できる根拠が必要という意味
との基準(規範)を示し、次いで、
- 長期評価の見解及びこれに基づく明治三陸試計算結果ないし延宝房総沖試計算結果は、根拠として十分ではない
として、取締役らの具体的な予見可能性を否定し、任務懈怠責任は問えない(善管注意義務違反はない)、と判断しました。
控訴審判決の枠組について言及した部分
上記の内容が分かるポイントを抜粋すると、次のとおりです。
東京電力の取締役であつた一審被告らが、本件事故によって東京電力に生じた損害について東京電力に射して善管注意義務違反に基づく損害賠償責任を負うというためには、一審被告らにおいて、本件事故のような過酷事故の原因となり得る後記第1の2で説示する程度の津波(※福島第一原発の10m盤を超える津波)が福島第一原発に襲来することについて、少なくともこれを予見し得たことが認められることが必要である
(中略)
一審被告らにおいて、福島第一原発の10m盤を少しでも超える津波が襲来することについての予見可能性が認められる場合には、それが予見可能となった時点で、このような津波による過酷事故の発生を防止するための措置を講ずるように指示等をすべき義務を負うことになる
(中略)
一審原告らが主張する上審被告らの善管注意義務違反が認められるためには、その前提として、長期評価の見解及びこれに基づく明治三陸試計算結果等により、一審被告らにおいて、福島第一原発の10m盤を超える津波が襲来することによる過酷事故を防止するための対策を速やかに講ずるように指示等を行う必要があることを認識できたといえる程度に、具体性のある本件予見可能性があったと認められることが必要である
(中略)
本件予見可能性があると認められるためには、上記運転停止に向けた指示を行わなければならないことを認識し得るとともに、この指示を正当化し得る程度に合理性ないし信頼性のある根拠が必要である
(中略)
一審被告らが負うべき取締役の善管注意義務の内容として、福島第一原発の運転の停止を指示することが含まれると解される以上、同指示につき、どのような手続ないし影響が生ずるかも、本件予見可能性が認められるか否かを判断する上で考慮すべき事情に当たる
(中略)
一審被告らにおいて、福島第一原発(及び福島第二原発)の運転を自主的に停止することにつながる本件予見可能性があったと認められるためには、本件事故前の科学的知見及び社会通念の下、福島第一原発において10m盤を超える津波が襲来することについて、速やかなる対策措置(発電所の運転停止及び津波対策工事)を講じなければ過酷事故が生じ得る状態にあることについて、過酷事故発生に対する懸念に重きを置く者のみではなく、運転を停止することによる国民生活や企業活動への影響を重視する者を含めた多数の利害関係者との関係において、その正当性を主張し得る程度に合理性ないし信頼性のある根拠が必要であつた
(中略)
一審被告Yが明治三陸試計算結果を認識した平成20年6月の時点はもとより、その後本件地震が発生するまでの間において、長期評価の見解及びこれに基づく明治三陸試計算結果ないし延宝房総沖試計算結果は、「10m盤を超える津波が襲来することを想定した対策を速やかに実施するような指示等を行わなければ過酷事故が発生するリスクがある」として、一審被告らに福島第一原発の運転停止(及び運転停止期間中の津波対策工事)を指示させることを法的に義務付ける程度に具体的な本件予見可能性があったことを認める根拠としては、必ずしも十分ではない
(中略)
本件地震発生前の時点で、一審被告らについて、本件予見可能性を有していたとはいえず、また、これを有するに足りるだけの根拠となる事情を認識していたとも認めることはできないというべきであり、一審被告らに本件予見可能性があったとは認められない
取締役は「想定外」「前例がなかった」が許されない時代に
控訴審判決は、自然災害のような「低頻度・高リスク」事象に対して、取締役がどのように備えるべきか、その責任の範囲を明確にしたと理解できます。
その意味では、他の企業にとっても参考になります。
「前例がなかった」は許されない
控訴審判決は、原子力発電のような高度な専門性と高リスクを伴う事業においては、「万が一にも」事故が起きないよう備える責務が取締役にあることを強調しました。
仮に前例がないとしても、科学的知見や各種評価(例えば長期評価)によって危険が具体的に予見できた場合には、対策を講じる義務が生じるとされたのです。
これは、原子力分野に限らず、食品安全、製薬、インフラ、ITセキュリティなどの他業種にもあてはまります。
日本の企業は「前例がなかった」として何もしないことがありがちですが、「前例がなかった」は、もはや取締役が責任を免れるための理由にはならないと理解した方が良いでしょう。
科学的知見とリスク評価に基づいた意思決定を
控訴審判決では、取締役が、その業界における科学的・技術的知見を軽視せずに、専門家の意見や第三者評価を適切に取り入れながら、経営判断を行うことが求めています。
そのため、特に法令遵守や社会的信頼を損なうような事態が起きた場合には、「知らなかった」「指摘は受けていたが確証がなかった」では済まされないと、取締役は認識を改めるべきです。
アパマン事件最高裁判決が示した経営判断原則の「意思決定の過程と内容が著しく不合理でない限り、善管注意義務違反にならない」の、「意思決定の過程」に相当する部分と整理できます。
今後は、意思決定(経営判断)の際には、企業はリスク情報を入手し、役員間で共有し、それを分析する過程と、その過程を記録することが、より一層重要になったと言えます。
議事録をより詳細なものに
取締役会や経営会議の議事録は、企業秘密に関わる事項を記載しないためにも簡素にしがちです。
しかし、控訴審判決では、具体的な予見可能性の有無に関連して、役員会議(いわゆる「御前会議」)で配布された津波リスク資料について、「どのような説明がされたか」「誰がどのように認識したか」が、重要な争点となりました。
これを証明できるのは、議事録の記載内容です。
そこで、重要なリスクについては、取締役会や経営会議での資料の配布→説明→議論→結論の一連のプロセスを文書化し、保存することが必要です。
形式的な議事録に留めるのではなく、「意思決定に至る過程」を詳細に議事録に残すように工夫してください。
リスク軽視や不作為は個人の責任に
東京電力福島第一原発訴訟は、取締役のリスク対応の責任が問われました。
控訴審判決では取締役らの責任は否定されましたが、原審では13兆円もの損害賠償を認めました。過去に類を見ない大規模訴訟です。
企業の取締役は、リスク軽視やリスク認識後の不作為が個人責任に直結する時代になっていることを再認識する必要があります。
「最悪の事態に備えたシナリオ」を準備
あらゆる企業は、事業の特性に応じた重大リスクを想定して、平時から「最悪の事態に備えたシナリオ」を前提に、それに備えるリスク管理体制(リスクマネジメント体制)を構築しておかなければなりません。
リスクマネジメント体制を構築することは取締役の義務であり、体制を構築していないことは取締役の責任です。
「想定外だった」「議論はしたが決定には至らなかった」では通用しません。
この判決は、「前例はなかった」で済ませる従来の日本型経営にイエローカードを突きつけたと言ってもいいのではないでしょうか。