こんにちは。弁護士の浅見隆行です。
福井県は2026年1月7日、杉本元県知事によるセクハラ事案に関する調査報告書を公表しました。
調査報告書では、知事が優越的な立場を利用し、複数の女性職員に対し私的なSNSで約1,000通に及ぶ卑猥なメッセージを送り、不適切な身体接触を行っていたなどのセクシャルハラスメントの詳細が明らかになっています。
ちなみに、特別調査委員のメンバーである河合健司弁護士には、私の司法修習時代に刑裁教官としてお世話になりました。
今回は、元県知事が行ったセクハラの内容ではなく、セクハラ事案を明らかにすることの難しさについて解説します。
明らかになったのは氷山の一角にすぎない
今回の事案では、職員約6,000人を対象に大規模な調査が行われました。しかし、最終的に詳細な聞き取りに協力し、被害を訴えたのはわずか4名(2025年4月に県の公益通報の外部窓口に通報した、最初の通報者を含む)に留まりました。
別の言い方をすれば、4人しか協力しなかったのに、1000通以上のセクハラメッセージの存在が明らかになったので、もし協力者がもっといれば、元県知事によるセクハラ被害はさらに増えたのかもしれません。
とはいえ、協力しなかった6000人弱の職員が「元県知事によるハラスメントを容認していた」かといえば、調査報告書を見ると、そういうわけではないようです。
「声を上げられない(上げられなかった)」のはなぜか
調査報告書を見ると、職員が調査委員会による調査にすら協力しなかった理由は3つあります。
特定されることへの恐怖と二次被害
1つめの理由は、被害者たちは、自分が名乗り出ることで個人が特定され、元県知事の支持者らからインターネット上での誹謗中傷や、職場での嫌がらせを受けることを強く恐れていた、ということです。
実際に、調査の過程で「個人が特定されて仕事で不利益を受けるのが怖い」として、途中で情報提供を断念した職員もいたほどです。
また、セクハラを公表しようかと悩んだが、狭い福井の中で、噂がたって家族に迷惑がかかるのではと心配したという、地方ならではの不安を訴えた職員の声もありました。
2026年に入ってからSNSでは中学生・高校生での校内暴力(いじめ=校内での暴力・傷害事件)を撮影した動画が拡散され、そこから加害者やその家族を特定し社会的制裁を課す「私刑」が目立ちます。
元県知事の調査に協力しなかった理由の一つは、協力することで、自分が「私刑」を受ける側になりうることを恐れたということです。
SNSで「私刑」をやりすぎる風潮が、逆に組織のコンプライアンスを弱体化させる遠因にもなっていると言っても良いでしょう。皮肉なことです。
絶対的な「権力」の壁
2つめの理由は、今回の加害者は知事という、組織のトップであり人事権を持つ人物だったということです。
その組織で働く職員の立場からしたら、「逆らえば仕事を失うかもしれない」という社会的・経済的な不安から「協力したいけど、協力した後が怖い」と考え(思い込み)、協力しなかったのです。
これは、福井県に限らず、どこの企業・組織でも同様のことが起きます。
特に社長以下役員によるハラスメント事案に関しては起きがちです。
職員・部下をこのような心理状態に置き、それを利用してハラスメントを繰り返す社長以下の役員も珍しくありません。
今回の県知事はまさにそのような状態を利用して、ハラスメントがエスカレートしていったのではないでしょうか。
周囲の冷ややかな反応
3つめの理由は、「嫌なら断ればいい」「昔はもっとひどかった」といった周囲の無理解な声です。
報告書には、県民や職員の「テキストメッセージぐらいで大騒ぎする方がおかしい」「嫌なら断ればよいではないか」との声や、年配の女性職員の「昔はもっとひどいセクハラがあったけれど、自分たちは耐えてきた、乗り越えてきた。」などの声が記されています。
コンプライアンスの意識が低い世代による「老害」や「事なかれ主義」と言ってもいいでしょう。
こうした「老害」や「事なかれ主義」が、被害者の口をさらに重くさせ、事実を明るみに出すことを躊躇させる要因となっていました。
すべてに神経質になって事を荒げる必要まではありませんが、だからといって、一線を越えている場合には、きちんと声を上げることを否定しない組織風土や企業文化を醸成したり、職員一人ひとりの意識をアップデートさせることが不可欠です。
セクハラ調査を困難にする「心の反応」
セクハラ事案の発覚が遅れたり調査が特に難しいのは、目に見える証拠だけでなく、被害者の複雑な心理状態にも原因があります。
「拒絶」できない被害者の心理
今回の事案でも、被害者が知事からの性的なメッセージに対し、絵文字を使ったり、やんわりとした返信をしたりする場面が報告されています。
これを加害者である元県知事は「相手も喜んでいる」と都合良く解釈していました。
心理学的には、強いストレスを受けた際、人は「戦う」「逃げる」だけでなく、「凍りつく」「友好を装う」「迎合する(相手に合わせる)」といった反応を示すことが知られています(5Fの反応)。
立場が弱い職員にとって、角を立てずにその場をやり過ごそうとすることは、自分を守るための精一杯の防衛手段だったのです。
セクハラは、加害者の性的な言動に対して、被害者が明確に拒絶や抗議等をしなくとも成立することがあります。
詳しくは以前に愛知県東郷町町長のハラスメント事案に関連して紹介した「海遊館事件判決」を見てください。
加害者の性的なメッセージに被害者がレスしたからといってセクハラが成立しないわけではないことを理解する必要があります。
記憶をたどる苦痛
被害者は、当時の屈辱的な記憶を思い出すだけで涙を流し、精神的に深く傷つきます。
調査に協力するということは、そのおぞましい経験を何度も語り直すということであり、被害者にとって非常に高いハードルとなります。
強制性交事案や強制わいせつ事案では、警察による事情聴取や裁判での被害者に対する反対尋問に関して「セカンドレイプ」などと表現されることがありますが、それと同じ状況ということです。
組織の仕組みが機能していなかった
調査を難しくしたもう一つの要因は、組織内の相談ルートが機能していなかったことです。
福井県では、被害者が勇気を出して上司や周囲の職員に相談しても、「半信半疑で受け止められる」「自分で断ればいいと突き放される」といった不適切な対応が取られていました。
また、相談窓口の存在が十分に知られていなかったり、相談しても「もみ消されるのではないか」という疑念があったりしたことも、事態を長期化させた原因です。
セクハラ調査に関する教訓
今回の事案と調査の内容から学べるのは、「声が上がってこない=問題がない」ではないということです。
セクハラ事案の調査において、表面的な「やり取り」だけを見て「合意があった」と判断するのは非常に危険です。
そもそも、「合意があった」としても、周囲の第三者の目で見て、「必要性がなくかつ相当な範囲を超えている」場合には、ハラスメントは成立します。
被害者がどれほどの恐怖を感じ、どれほどの覚悟で沈黙を守っているのかは、当該組織・企業の「権力構造」と「被害者心理」への理解が不可欠です。
ハラスメントを職場からなくすためには、加害者と被害者との個人の問題として片付けず、組織全体で「通報者を守り、声を真摯に受け止める風土」を育てていくことが不可欠です。