こんにちは。弁護士の浅見隆行です。
トヨタ自動車の子会社シンテックホズミの元社員2人が、不正競争防止法違反(営業秘密の領得・開示)の疑いで愛知県警に逮捕されたと報じられています。
報道によると、48歳の男性は2023年1月に、60歳の女性は2025年6月に同社を退職しています。女性は在職中の2024年9月、社内のサーバーから無人搬送車の充電装置に関する原価データを複製し、別の会社に転職していた元上司の男性に渡した疑いが持たれています。
日本経済新聞などの報道では、男性の転職先は同社の取引先でもある企業とされています。データの受け渡しにあたっては、元上司が元部下に、クラウド上へアップロードするよう依頼したとみられています。
共同通信の報道では、男性の転職先は同業他社とされています。会社が警察に相談したのは2024年12月だったとも伝えられています。
この事件で逮捕されたのは、データを欲しがった元上司だけではありません。頼まれてデータを渡した在職中の元部下も、同じように逮捕されていることが注目です。
退職した元上司の頼みは、なぜ断りにくいのか
2人の間にどのような事情があり、どのようなやり取りがあったのかは、捜査の結果を待つ必要があります。以下は、報道された事実をもとにした推察です。
退職しても上下関係は残る
長く一緒に働いた上司と部下の関係は、どちらかが会社を辞めても簡単には消えません。仕事を教わった、ミスをかばってもらった、という記憶があればなおさらです。
退職した元上司から「ちょっと見せてほしいものがある」と連絡が来れば、部下の側は、情報を外に出すというより、お世話になった人の頼みを聞くという感覚で受け取るかもしれません。
今回のケースのように頼まれた作業が、サーバーのファイルをコピーしてクラウドに上げるだけであれば、普段の業務と操作は変わりません。罪を犯しているという意識は、さらに薄くなります。
元上司が取引先にいると、断ることがさらに難しくなる
今回は、元上司の転職先が取引先でもあったと報じられています。
そうなると、頼みを断ることは、元上司個人との関係だけでなく、会社と取引先との関係まで気まずくするように見えます。
「取引先の人なのだから、多少の情報は共有しても問題ないだろう」「断って取引に影響が出たら困る」。そう考えて手を動かしてしまう人がいても、不思議ではないと思います。
しかし、取引先であっても、自社の仕入れ先の原価は見せてはいけない情報です。原価を知られれば、価格交渉で手の内を読まれることになります。
飲み会の近況報告から情報は出ていく
データを渡すような頼まれごとがなくても、情報は出ていきます。退職した先輩や元上司と飲みに行き、近況を話す場面を思い浮かべてみてください。
「今度の新製品、来春に出るらしいですよ」「あの取引先とは単価でもめていて」「部長が代わって方針が変わったんです」。話している本人にとっては世間話です。
しかし、相手が同業他社や取引先に移っていれば、こうした話は、相手の会社がそのまま営業での判断に使える情報になります。
雑談で話した内容が、すべて不正競争防止法の営業秘密にあたるわけではありません。営業秘密として保護されるには、秘密として管理されていること(秘密管理性)、事業に役立つ情報であること(有用性)、外部に知られていないこと(非公知性)、の3つを満たす必要があります。
とはいえ、営業秘密にあたらなくても、就業規則や入社時の誓約書で定めた秘密保持義務には違反しえます。そのため、懲戒処分や損害賠償の対象にもなります。
飲み会での近況報告は、話す中身によっては、それ自体が情報漏えいになるのです。
かっぱ寿司事件が示した、手を貸した側の責任
元部下に頼んでクラウドやサーバーを経由させる手口は、今回が初めてではありません。
回転寿司チェーン「かっぱ寿司」を運営するカッパ・クリエイトの田辺公己前社長が、前職のはま寿司の営業秘密を不正に取得した事件でも、同じ手口が使われていたと報じられています。
報道によると、田辺前社長は2020年、ゼンショーホールディングスを退職してカッパ・クリエイトに移る前に、元部下に依頼してデータを外部のサーバーにアップロードさせ、USBメモリに移して受け取ったとされています。移籍後には、ロックのかかったデータのパスワードを聞き出していたとも伝えられています。
USBメモリを直接手渡したりメールで送ったりするのに比べ、サーバーを経由すれば足跡がつかないと考えたのかもしれません。しかし、実際には発覚しました。
田辺前社長は不正競争防止法違反で逮捕された後、2023年5月31日に東京地裁で懲役3年、執行猶予4年と罰金200万円の有罪判決を受けました。はま寿司の元部下も逮捕された後、罰金50万円の略式命令を受けています。
元部下の側からすれば、自分のために何かを得たわけではありません。元上司に頼まれて手を動かした結果、前科がついたことになります。
カッパ・クリエイトも、両罰規定、すなわち従業員が違反したときに会社も罰する規定により罰金3000万円の判決を受けました。
また、はま寿司は2023年12月27日、田辺前社長、カッパ・クリエイト、コロワイドMDを相手に、営業秘密の使用・開示の差止めと廃棄、5億円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴しました。親会社のゼンショーホールディングスは、損害額は63億円以上で、5億円はその一部の請求だと公表しています。
頼みに応じた在職中の社員は、その結果が、自分自身の逮捕や罰金(刑事罰)として返ってくることになります。
退職者との付き合い方を、社内でどう伝えるか
付き合いを禁止しても守られない
退職者との付き合いそのものを禁じることはできません。退職後も相談に乗ってもらったり、業界の動きを教えてもらったりする関係は、社員にとってむしろ大切なものです。
禁止すれば、社員は会社に黙って会うようになるだけです。
会社が社員に伝えるべきなのは「会うな」ではなく、会ったときに何を話してはいけないか、何を頼まれたら断るか、です。
話してはいけないことと断るべき頼みを具体的に示す
「社外秘の情報は話さない」と定めた規程は、多くの会社にあります。
しかし、元上司との飲み会の席で、どの話が社外秘にあたるのかを社員がその場で判断するのは難しいものです。
原価、仕入れ先との取引条件、開発中の製品の中身と時期、顧客ごとの売上。こうした具体的な項目を挙げて、退職者に話してはいけない情報としてあらかじめ示しておくことが効果的です。
データについては、退職者から頼まれたら、どんな理由があっても渡さない、アップロードしない、と明確にしておく必要があります。
断るための言葉を用意しておく
頼まれた側がいちばん困るのは、元上司との関係を壊さずにどう断るか、です。
「会社のルールで、退職された方には社内のデータを出せないことになっているんです」「最近、情報管理が厳しくなって、私の判断では出せません」。こうした言い方なら、角を立てずに断れます。
会社のルールを理由にして断れるよう、ルールを明文化しておくことが、断るときの後ろ盾になります。
頼まれた時点で上司や相談窓口に相談してよいことも、あわせて伝えておく必要があります。元上司を告げ口するようで気が引ける社員もいるはずです。
しかし、早い段階で相談があれば、会社は元上司本人や転職先に注意を促すなど、誰も逮捕されずに済む手を打てます。
辞める側にも伝える
退職時の面談は、秘密保持の誓約書に署名してもらうだけで終わらせないことが大切です。田辺前社長も、ゼンショーホールディングスを退職する際に秘密保持の誓約書に署名していたと報じられています。
誓約書の説明に加えて、「在職している元部下にデータを頼めば、その人を犯罪に巻き込むことになります」と、具体的に何が起きるのかを伝えておくことが、退職者を抑止することになります。
元上司の頼みを断ることは、お世話になった人を裏切ることではありません。自分の身を守ることであり、元上司にそれ以上の罪を重ねさせないことでもあります。
経営陣がこのことを自分の言葉で社員に伝えておけば、頼まれた社員がためらわずに断れる場面が増える気がします。
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