契約書のひな型は、そのまま使うものではありません

11月下旬になりますが、未だ、東芝会計問題、三井不動産レジデンシャル・旭化成建材データ改ざん問題は、全容が解明されません。
どこまで発展するのか気になるところです。
年内に落ち着いたところで、一度まとめてみようと思います。

さて、今回は、いつもと違って「契約書のひな型」の話をします。

「契約書のひな型」は、そのまま使うものではない

どこの企業、どの取引でも、合意が成立したら「契約書」「合意書」の類を締結します。
定型的な契約内容であれば、「定款」になっていたり、社内に「契約書のひな型」が存在することもあるでしょう。

「契約書のひな型」について、現場で間違えた理解があるようなので、あえて言いたい。
契約書のひな型は、そのまま使うな、と。

先日、ある取引分野に関する契約書に関するセミナーを行いました。
セミナーのテーマは、よくある既存の契約書が抱える問題点やトラブルを引き起こす課題を実例に照らして説明し、そうした問題点やトラブルを回避するためには、契約書をこうやって修正したほうがいい、という提案をするものでした。

セミナー終了後のアンケートを拝読すると、9割以上の方が参考になった、わかりやすかったと感想を追加してくれていたので、趣旨を理解しくれてよかったと安堵していました。
しかし、1人だけ、「契約書のひな型や大手企業からもらう契約書と違うので参考にならない」という趣旨の感想を書かれた受講者の方がいました。

唖然としました。
過去に何度も同じテーマのセミナーを行ってきて、初めて見る感想だっただけに、なおさら、でした。

どうして、この方はこうした感想を書かれたのだろう?と考えてみました。
私なりに考えた推論は「契約書のひな型や取引先からもらった契約書の文案を修正してはいけないと誤解しているのではないか」「契約書の文言一つ一つについて交渉したことがないのではないだろうか」ということです。

「契約書のひな型」は、あくまでも「ひな型」

契約書のひな型は、毎回1から起案していたのでは時間がかかるから、時間と労力を節約するために作成されたものです。
絶対的なルールではありません。

契約書は、当事者同士が合意した内容や取引条件を紙に記録して証拠化したものです。
あくまでも、当事者が合意することが大前提です。

合意するときに、トラブルを想定する。
その想定されたトラブルを回避できるような取引条件を付ける。
その取引条件を契約書に反映させる。
ひな型がある場合には、ひな型を修正する。
この修正を巡って、当事者同士が侃々諤々やり取りする。

これが契約の醍醐味です。
契約書のひな型に記載されている、取引の数字や納期を調整するのが契約交渉ではありません。

「契約書のひな型」の修正に取引先が上場企業だろうが中小企業だろうが個人事業主だろうが関係ない

上場企業や大手企業が「ひな型」を持っていて、契約の場で「これが取引条件だ、よろしく」と突きつけてくることは、よくあります。
「○○社から、こんな内容の契約書をサインしろと言われてるんですが、なんとかできませんか」と相談にいらっしゃる企業さんは、いつものことです。
むしろ、そういって悩んでいるからこそ、相談にいらっしゃるのです。

相手方が上場企業や大手企業であろうと、呑めない内容には承諾しない。
だからといって、全面的に反発したら、取引自体がなかったことになってしまって、売上がなくなる。
この矛盾を調整するために、契約書のひな型の中で、どこが譲れない部分なのか、どこが譲れる部分なのかを一つ一つバラバラにして考える。
そのうえで、譲れない部分について、相手が修正に応じてくれそうな部分はどこだろうか、どの表現なら修正可能だろうか。
こういう検討作業を行うのです。

反対に、自社が「ひな型」を提示する場合には、相手方に「ひな型」を提示する前に、同じ作業を行うのです。
自社にとって強みを持たせたい条項があるとしたら、「ひな型」を思いっきり自社に有利な内容に変更してみる。
そのうえで、相手と交渉して譲歩するか、そのまま押し通すか考える。
こちらは散々悩んで追加条項が、意外とノーチェックでスルーされて承諾されることさえあります。

「今までどの契約書でも見たことがないけれども、今回の取引のためには、この条件を入れておきたい」
こういう思いがあるときには、それを条項にして、新しく契約書に追加する。
こうしたことを積極的に試みる必要があります。

取引先が上場企業だろうと中小企業だろうと個人事業主だろうと関係ありません。
また、取引内容が、何を対象とする取引だろうと関係ありません。

「契約書のひな型」のひとり歩き

「ひな型」を作った人は、以上のような理解のもとで作っています。
しかし、いつしか、その「ひな型」の背後にあるものが忘れ去られ、「ひな型」が所与のもの、不動のものとして、ひとり歩きしているのが現状です。

一昨年、30年以上前に日本にM&Aに関する契約書の「ひな型」を一番はじめに紹介したという方にお目に掛かったときに、同じことを感想として漏らしていらっしゃいました。
「ひな型を作成したときには、どこの会社にも共通するようにあえて抽象的な内容で書いて、現場で具体的な内容に変更してもらえると思っていた。しかし、その意図を理解してもらえず、抽象的な内容のまま利用され、それが一般的なひな型として浸透してしまって残念だ」という趣旨のことをおっしゃっていました。

「ひな型」は、与えられたものではなく、あくまで時間を節約するためのものだと理解してください。
スーツでいえば、オーダーメイドは時間と費用と労力がかかるので、イージーオーダーとして「ひな型」を作ったにすぎません。
「ひな型」は決して既製服ではありません。
既製服ですら、お直しはできます。

ビジネスの現場で、そのお直しすらしないのですか?ということです。

危機管理広報の成り立ちなど

マンションのくい打ち問題は、まだまだ続きがありそうです。
そのため、くい打ち問題についてのレビュー第2弾は、もう少し経過を見てから書きます。

先日、同業者と飲み会をしていたときに、私の仕事内容が通常イメージする弁護士の業務=訴訟業務と違いすぎるということで、色々と質問されました。
そこで、今回は、「危機管理って何?」「なんで、危機管理広報を、やることになったの?」という、素朴な質問に回答しようと思います。

私が危機管理広報をメインにするようにした成り立ちと言い換えることができます。

辞め検(ヤメ検)の「危機管理」とは何が違うのか

最近では、元検察から弁護士に転向した、いわゆる「辞め検(ヤメ検)」の弁護士の方々が「危機管理」を業務内容としてアピールしているのをよく見かけます。
おそらく、元検察という経歴から察するに、「企業不祥事が起きても、いかに刑事事件にならないようにするか」というところに主眼があるのではないかと思います(あくまでイメージです)。

「いかに刑事事件にならないようにするか」は、私が考える「危機管理」ではありません。
それは、私の中では、刑事弁護でしかありません。
より広い意味では、予防法務ではあるかもしれません。

私が考えている「危機管理」は、企業が社会からの信頼を回復する、信用を取り戻すためにはどうしたらいいか、そもそも信頼を失わないようにしないためにはどうしたらいいか、に主眼を置いています。
社長であろうと従業員であろうと誰かが逮捕されるべきケースでは、逮捕され起訴されるべき、と思っています。
むしろ、逮捕、起訴されてでも、企業の中で変えていかなければならない部分は変えていこうと考えながら、アドバイスしています。
その点では、ヤメ検の「危機管理」とは、真逆かもしれません。

民暴の「危機管理」とは何が違うのか

一方で、民事介入暴力を専門にする弁護士の方々も「危機管理」という言葉を用いられます。
私の「危機管理」は、民暴の「危機管理」そのものではありませんが、どちらかというと、こちらに近いです。

民事介入暴力の「危機管理」は、企業が反社会的勢力やクレーマーから不当な要求をされたときに、いかに屈しないか、に主眼を置いています(私も過去に民暴委員会に籍を置いていました)。
これは、私が考えている「危機管理」の中に含まれます。

企業が不祥事を起こした場合に、企業は社会からの信頼を回復する、信用を取り戻す必要がある。
そのためには、株主や機関投資家や消費者や地域の意見を聞かなければならない。
その中で真っ当な意見があれば組み入れるけれども、すべて言うがまま、言いなりになるわけではない。
この言うがまま、言いなりになるわけではないというのは、民暴の「危機管理」と共通しています。

言うがまま、言いなりになるわけではない、というところの延長に、あくまでも会社の意思決定を行うのは、会社の取締役・取締役会である、という発想があります。

どういう成り立ちでの「危機管理」か

私が考えるところの「危機管理」は、社会からの信頼を回復する、信用を取り戻すための手段を講じるべきというところに主眼があります。
このベースになったのは、不当なクレーマーへの対応、土壌汚染をきっかけとした住民説明会、株主総会での取締役の説明義務、IR型の出資者(株主)に説明することに主眼を置いた株主総会への移行、企業の社会的責任が問われるようになった時代背景、個人情報漏えいでの被害者向け説明、マスコミへの取材対応などでの経験です。

弁護士である以上、法律で禁止されていることは企業活動でも禁止される、というところからスタートするのは当たり前です。
しかし、コンプライアンスという言葉が2000年以降に言われるようになった当初は、「法律をまもって、会社が潰れる」とも揶揄されました(今でも言っている人はいます)。
それも、違うだろ、と。

法律は守らなければいけない。でも、法律が定めていない中で企業にはできることがあるだろう。
まして、企業不祥事が起きたときには、会社が信頼を回復する、信用を回復する、ファンを失わない。そのために、できることは、山ほどあるではないか。
企業が不祥事を起こしたときこそ、マーケティングの手法などを積極的に活用すべきではないのか。
松下電器(現パナソニック)の石油ファンヒーターの大規模リコール事件のときに行われていた回収のために、次から次へと出てくる方策を見て、その思いは強くなりました。

ましてや、先に挙げたような経験を通じて、回答として期待しているのは、法律の話ではないことを体感しました。

そこからスタートしたのが、私が考えているところの「危機管理」の具体的な中身です。
一見するとコンサルティングのように誤解されるかもしれません。
しかし、あくまでもベースは、弁護士の立場からの発想です。

ベースは「戦略法務」

むろん、私ひとりで勝手に思い至ったのではなく、私が師事した中島茂弁護士が、日本で一番最初に提唱した「戦略法務」の考え方がベースになっています。
ちなみに、「戦略法務」という言葉は、今では広く使われるようになっています。
しかし、その内容を、企業には戦略目的があり、目的を達成するためには色々な手段があり、その中で法的手段をも使おう、と、広く企業戦略の一つに法務を位置づけているのは、中島茂弁護士だけだと思っています。

「危機管理広報」で考えていること

私が「危機管理」の一つとして行っている「危機管理広報」は、こうした「戦略法務」の考え方をベースにしているものです。

企業が不祥事を起こしたときには、目的は、信頼回復、信用回復、さらには、現在進行形の不祥事の拡大防止や被害の拡大防止などがある。
その目的を達成するためには、いろいろな手段があり、それを考えていこう。
その手段の一つとして用いるべき「広報」が「危機管理広報」である、という考え方です。

単に「訴訟になったときに不利にならないような説明をしよう」「責任を負わないような言葉選びをしよう」とは、発想の原点が違います。

あくまでも、目的達成のために必要なことを世の中や消費者にアピールして伝える、というところから、発想します。
法的責任を免れても、企業がマスコミから叩かれたら意味がない。消費者が離れていったら意味がない。
守るべきものは、社長以下役員の首ではなく、あくまで会社である。
もっと言えば、会社を取り巻く、株主、投資家、消費者、取引先、社会、従業員が守るべき対象である。
この思いに立った上で、今のタイミングで全部情報を隠さずに開示すべき、次の発表はこのタイミングで行うべき、発表を行う前にこの取引先などには事前に根回ししておくべき、軽々しい言葉選びをすると法的責任を認めて争う余地がなくなるので、同じ内容を言うにしても違う説明の仕方ができるのではないか、社内でもこういう言葉で説明すれば役員の理解が得られるのではないか、などのアドバイスをしています。